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こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記

基礎学力(高卒程度)を身につけたい。読書も旅もしたい。フットボールも見たい。

「『パンタグリュエル』の旧世界の話は、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を思い起こさせる」 読書ノート ラブレー著「パンタグリュエルーガルガンチュアとパンタグリュエル2」(104日目~105日目)

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ラブレー著「パンタグリュエルーガルガンチュアとパンタグリュエル2」(宮下志朗訳 ちくま文庫

 

第2巻は巨人王ガルガンチュアの息子、パンタグリュエルが主人公だ。前半はパンタグリュエルがフランスのさまざまな地で学問を修め、この物語の重要人物であるパニュルジュと知り合う物語であり、後半はパンタグリュエルと仲間たちが、パンタグリュエルの故郷「ユートピア国」に侵入してきたディプソード人および300人もの巨人軍団と戦って大勝利を収めるまでの物語だ。またしても、巨人パンタグリュエルのおしっこ洪水で多くの人々が溺死したり、パンタグリュエルの放った猛烈にくさいおならの影響でたくさんの不格好な男女「ピグメー人」が生まれてしまったり、「うんこおしっこ大魔王」の物語は健在だ。

なんとも荒唐無稽の内容なのだが、古い慣習にしがみつく人々に対する風刺もしっかりと盛り込まれている。たとえば、パンタグリュエルがオルレアンで出会った学生は、当時の神学者が論争に使っていたラテン風の言い回しで話をする。しかし誰にも意味がわからない。そこでパンタグリュエルは「なんだい、この奇天列弁は?さては、あんさん、どこかの異教徒かい?」と首をかしげる。神学論争をする人々を異教徒よばわりとは。ラブレー先生が火あぶりになるのではないかと、はらはらしてしまう。

また、贖宥状の代金を置く皿からお金をくすねてしまう手口が流行っていたとか、パリの墓地が手狭になったため、墓をあばいては骨を日干しにして納骨堂に移していたとか、16世紀のパリの混沌としていた姿を垣間見ることができて面白い。

ところで一番興味をひいたのが、語り手アルコフリバスがパンタグリュエルの口の中を探検した話だ。パンタグリュエルの口の中にはなんと、広々とした牧場や、広大な森や、大きな都会が広がっていた。

そこでアルコフリバスは「キャベツを植えているおっちゃん」に会うのである。アルコフリバスはびっくりして「ここで何をしているのか」と聞く。男は「キャベツを植えてるんでさあ」と答える。

「みんな、金持ちになれるわけじゃあございやせん。ですからこうやって暮らしを立てているのでござんすよ。この裏の方の町の市場に運んで、売るのでございます」

「ていうと、ここは新世界なのですか?」

「新しくなんかありゃしませんぜ」と、相手がいいます。「でも、うわさですと、どうやらこの外には、新しい大陸だかがあって、太陽も月も拝めるし、なんだかおいしい仕事がたくさんあるとか。でも、こっちは古い世界なんでさあ」(P363~P364)

 

視点が変われば見方も変わる。意外にもここでは、キャベツを植えて地道に生活しているおっさんが肯定的に描かれる。新世界だから素晴らしいとか、旧世界だからダメだとか、そんな単純な読み方ができないところが、この本の一筋縄ではいかないところだ。

一方、私はこの挿話にある既視感を覚えた。そう、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の世界に似ているのだ。「キャベツを植えているおっさん」の住む旧世界は、高い壁に囲まれた静謐な「僕」の世界である「世界の終り」の世界を思い起こさせる。戦いも憎しみも欲望もないかわりに、喜びも至福もない世界を淡々と生きている「世界の終り」。そんな静かな世界を、私が退屈でつまらないと感じてしまうのは、いわゆる「新世界」の価値観にどっぷりと漬かっているからだろう。

村上春樹が「パンタグリュエル」を読んで、少なからず影響を受けていたら面白いのだが、誰か質問してくれる人はいないだろうか。もっとも、「全く関係ありません。『うんこおしっこ大魔王』は私の作品には出てきません」と怒られるかもしれないが。

次回の読書ノートは、第4巻に続く。第3巻は品切れ中だ。飛ばし読みはとても心苦しい。しかしこうなったら何が何でも宮下訳で第3巻を読みたいので、再版を待つ。

 

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