こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記

基礎学力(高卒程度)を身につけたい。読書も旅もしたい。フットボールも見たい。

「神がいるかいないか、賭けてみないか?勝った場合の儲けは無限大だ!」 読書ノート パスカル著『パンセ(中)』+169日目(日本史)

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パスカル著『パンセ(中)』(塩川徹也訳 岩波文庫

 

前にも書いたが、パスカルの目標は、神を信じない人に向かって、キリスト教を信仰するように呼び掛けることだ。

人間は自分自身の欠点と悲惨さに我慢ならない。それにも関わらず、他人からは良く思われたいと願う。だから自分自身の悲惨さをできるだけ見ないようにし、他人にも知られないように努力する。誰だって多かれ少なかれ、他人の目を気にして暮らしている。パスカルによれば、人間は邪悪さにまみれているくせに、見栄っ張りでどうしようもない生き物なのだ。

それでは、どうしたらこの悲惨な状況から抜け出せるのだろうか。「そりゃあ、キリスト教を信じることですよ」と、パスカルは持ち込みたいのだが、相手は無神論者だ。そう簡単に信じてもらえるわけがない。

そこでパスカルは、無神論者に理屈で訴えることにした。神がいるか、神がいないか。ひとつ、賭けてみようじゃないか。賭けるものは「人生」そのものだ。

「神がいる」に賭けて神がいた場合は、自分自身の悲惨さから解放される。つまり「原罪」から解放され、永遠の生と幸福が得られる。「神がいない」に賭けて神がいた場合は、何も手にできない。だが、「神がいる」に賭けて神がいなかった場合も、別に何一つ損するわけではない。それなら「神がいる」に賭けた方が、得ではないだろうか。こういう理屈なのだ。

418 「神は存在するか、しないかのいずれかだ。」・・(中略)・・きみはもう乗船しているのだ。そこで、どちらを取るのか、さあ見てみよう。選ばなければならないのだから、君の利益をできるだけ損なわずに済むか、考えてみよう。・・(中略)・・きみは、もし勝てば、すべてを獲得する。もし負けても、何も失うものはない。だから迷うことなく賭けるべきだ。(中巻P51~53)

パスカルがよくこんなことを書いたものだと感心する。なぜならパスカルは、神を信じるとか信じないとかいうことは、理屈で考えるものではないと言っているからだ。

424 神を感ずるのは心であって、理性ではない。これこそ信仰というものだ。心に感じられる神。理性にではない。(中巻P66)

目には見えないけれど、確かに存在する「何か」がある。だが、証明はできない。理屈で説き伏せることも本来はできないはずだ。パスカルはそれを知っていながら、不可能なことに挑戦しようとしているのだから恐れ入る。

だが、キリスト教がいかに「正しい」かを証明するためのユダヤ証人説」は、いまひとつ理解できなかった。というか、自分がユダヤ人だったら嫌な思いがするだろうな、という思いが残った。

旧約聖書では神に対するユダヤ人の反逆と忘恩を責めている。それなのに、自分たちにとって何の得にもならない旧約聖書を大事に守っていることが、彼らの誠実さの証しであり、聖書が「正しい」ことの証明だという。

旧約聖書にはメシア(救世主)がやってくることが予言されている。しかし、イエス=キリストがあまりにもみすぼらしい格好でやってきたために、ユダヤ人はびっくりして、彼を救世主だとは思わず殺してしまう。旧約聖書ではユダヤ人がメシアを拒絶することも書いてある。ユダヤ人は世界中に四散し、いまだに惨めな境遇である。すべて聖書に予言されたとおりじゃないか。だから聖書は正しいという理屈である。

593 もしユダヤ人が全員、イエス・キリストによって回心させられていたとすれば、私たちにはもはや疑わしい証人しか残らないだろう。そしてもしも彼らが皆殺しにされていたとすれば、証人がまったくいなくなってしまうだろう。(中巻P324)

中巻は、パスカルによる旧約聖書の訳が延々と続く箇所がある。聞き書きではなく、同時代人のモーセが書いたんだから正しいに決まっている!とも言っている。モーセは120歳まで生きたらしいが、本当だろうか。また、旧約聖書の「創世記」には人類の起源と最初期の歴史が書かれているのだが、ところが中国の史書にははるかに「創世記」をさかのぼる歴史が綴られている。これにパスカルは困っているように見える。

キリスト教の「正しさ」を証明することを護教論というらしいが、素人の私から見るとこじつけのような気もしないでもない。

 

◎勉強日記

<日本史>

「石川の日本史B実況中継②」第32回「江戸初期の外交と政治」の赤字部分をノートに取りながら、流れをつかむように心がけながら読む。

もともと歴史について無知な私だが、江戸時代については特に知らない。しっかりやろう。

この回で登場する「支倉常長」展を仙台で見たことがある。とても感激した。慶長遣欧使節団を率いて、スペインやローマまで行った支倉常長伊達政宗の命を受け、行く先々で「仙台と貿易をしませんか?」と誘ってみるも断わられ・・・。禁教令が敷かれていることを知りながら日本に帰国。もともと重症だったらしいのだが、帰国してすぐに死んでしまう。支倉常長とともに旅をした宣教師のソテロも、日本で火あぶりになっている。なぜ危険な日本に帰ってきたのだろう?そのあたりはよくわからなかったが、とにかく心揺さぶられる展示だった。

島原の乱についても、熊本・天草に行ったときのことを思い出す。資料館が充実していて興味深かった。この大規模な乱がきっかけとなって、農民への過酷な取り立てはやってはいけないことになるのだから(島原藩主は改易、斬首)、島原の乱は大きな意味を持つ。

キリスト教がらみのことに目がいくのは、『パンセ』を読んだばかりだからだろうか。

   ↓

問題集「教科書よりやさしい日本史ノート」42「江戸初期の外交と禁教」と43「『四つの窓口』と寛永期の文化」1~5の穴埋め問題をやる。

 

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