こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記

基礎学力(高卒程度)を身につけたい。読書も旅もしたい。フットボールも見たい。

「仏教に対するいくつかの疑問を払拭してくれた一冊。これで1000円は安い!」 読書ノート 櫻部健・上山春平著『存在の分析<アビダルマ>ー仏教の思想2-』(189日目~190日目)

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櫻部健・上山春平著『存在の分析<アビダルマ>ー仏教の思想2ー』(角川ソフィア文庫

仏教の思想シリーズの2分冊目だ。読んでよかった。サンスクリット語はおろか、仏教の基礎知識も持たない人間に、難しい原始仏教の世界をわかりやすく教えてくれる研究者には、いくら感謝してもしつくせない。しかもこれだけの内容が、文庫本でたったの1000円で読めるなんて。私は、本当にいい時代に生まれたと思う。

 

私はずっと仏教について「よくわからない」という気持ちを持ち続けていた。キリスト教はわかりやすい。神様に選ばれた人は、あらゆる苦しみから解き放たれて天国に行けるという教えは、頭の中に具体的な絵まで浮かんできてイメージしやすい。

ところが仏教は違う。死んでも何度でも生まれ変わってしまう。前世が人間でも、次は動物に生まれ変わるかもしれない。昆虫になるかもしれない。人間に生まれ変わったとしてもラッキーなわけではない。生きることそのものが「苦」だからだ。だから、何度も何度も生まれ変わるサイクル(輪廻)から抜け出さなければ、本当の救いは得られない。輪廻から抜け出して(解脱)無の世界に行くことが仏教の「救い」だ。

「有」の世界を救いにするキリスト教。「無」の世界を救いにする仏教キリスト教の方がどう考えてもわかりやすくないだろうか。

ところで仏教に天国はないのだろうか?これが私の長い間の疑問だった。それっぽい絵を見たことがあるのだが、あれは何だったのか?。

 

今回、仏教の思想シリーズである『存在の分析』を読んで、この疑問にやっと答えが出た。なんと仏教では、天上界に生まれようと、地獄に落ちようと、それもまた輪廻の領域を出ないというのだ。天上界だろうと地獄の住人だろうと、また別の世界に生まれ変わってしまう。永遠に続くものはないという考えの徹底ぶりがスゴい。

また、「仏教無神論である」ということばの意味もようやく理解できた。『存在の分析』には、仏教が考える「天地のはじまり」が書かれているが、そこには天地を作った神さまなんていない。また、人間を左右する「神さま」や「運命」といったものも存在しない。すべては因果応報、つまり業(良い行いと悪い行い、およびそれに対する影響)の因果の法則ですべては決まるのだ。

 

アビダルマとは、ブッダ生前の教え(アーガマ、または阿含)を学僧たちが研究し、解明し、組織づけて、ひとつの思想体系にまとめあげたものだ。いわゆる「研究論文」だからかなり理屈っぽいが、この研究がなければ仏教大乗仏教へと展開することはなかった。

あらゆるものは諸行無常である。永遠に続くものはない。仏教でおなじみの教えだが、アビダルマはこれを合理的に説明しようとする。さまざまなものがどういう法則や規範にしたがって存在しているのか、それを細かく分析している。

たとえば、因果応報。過去の行いが現在の行いに影響し、現在の行いが未来の行いに影響する。この世界ではその連鎖が延々と続いている。アビダルマによれば、私たちの存在は映画のフイルムの一コマ一コマのように瞬間的なものなのだという。過去の行いが影響を及ぼしている「現在」と、未来に影響を及ぼしている「現在」が一コマの中に移りこんでいる。私たちの世界はそれらの瞬間瞬間の集合体だ。理屈はわかるが、なんだか不思議な感じがする。

物も心も煩悩もいろいろな種類に分けられ、どういう作用によってどういう結果を招くとか、まるで理科の実験のレポートを見ているような分析だ。ちょっと細かすぎるし、人間の救いに関係ないんじゃないか?と突っ込みたくなるような内容なのだが、この研究をもとに今の仏教は成り立っている。仏教の歴史において、アビダルマはとても重要な位置づけにあるらしい。

仏教の思想シリーズは全12巻だ。「わかりやすい仏教のなんたらかんたら」という図解のついた本は多く出ているが、簡単に説明しようとして、結局はわかりにくい。仏教の基礎知識を身につけるには、このシリーズが一番いいのではないだろうか。気が向くごとに一冊一冊、消化していきたいと思う。

 

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