こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記

基礎学力(高卒程度)を身につけたい。読書も旅もしたい。フットボールも見たい。

「文豪ゲーテの名著。挫折した人でも、この訳なら絶対に読める!」 読書ノート ゲーテ著『ファウスト<第一部>+<第二部>』(池内紀訳)194日目~195日目

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ゲーテ著『ファウスト』<第一部>+<第二部>(池内紀訳 集英社文庫ヘリテージシリーズ)

ファウスト』も「題名だけは有名だが、あまり読まれていないシリーズ」かもしれない。ところが読みやすい訳本を手に入れることができた。

ファウスト』を読もうと思って挫折した人でも、この訳なら絶対に読める。ほとんどが韻文で書かれた『ファウスト』を、池内先生はあえて散文で押し通した。無理に詩形を踏襲して翻訳すると、ゲーテがドイツ語で苦心した一切が消えてしまうからだという。第一部のあとがきで池内先生はこう言っている。

詩句をなぞるかわりに、ゲーテが詩体を通して伝えようとしたことを、より柔軟な散文でとらえることはできないか。いまの私たちの日本語で受け止めてみてはどうだろう。

そんな考えで、この訳をつくった。いまひとたびの出発のためである。名のみ高くて読まれることの少ない古典を雲の上に祭りあげるかわりに、われらの同時代に引き込もうとした。まったくのところ、悪魔と組んで若返ったり、自在に時空間をめぐるといったことは、とびきり現代的なテーマにちがいないのだ。(<第一部>P327-328)

 

1.若返りの薬を飲んでイケメンになったファウスト。ところが、女性との恋では人生は満たされない。

 『ファウスト』の主人公は、学問と知識に絶望した学者・ファウスト先生だ。哲学も法学も医学も神学もやったというのに、自分はなにひとつ知ることができない。挙句の果てに、ファウストは毒をあおって自殺まで試みようとする。結局のところは思いとどまるのだが。

そこにやってくるのが悪魔のメフィストフェレスだ。彼はファウストに賭けを申し出る。メフィストが用意した人生の至福やら快楽やらで、「時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい」とファウストに言わせたら悪魔の勝ち。ファウストの魂は悪魔のものになる。「よし、賭けた!」「結構ですな!」ということで賭けの約束が成立する。

で、知識欲とおさらばしたファウスト先生は、今まで我慢してきたことを楽しもうと思い切りはじけてしまう。若返りの薬を飲んで30歳も若く生まれ変わり、グレートヒェン(マルガレーテ)を誘惑して恋におちたり、冥界からギリシア神話で有名なヘレネを連れてきて結婚したり。「あの女にどうしても会いたい!」とファウストが命令するたびに、へいへいと奔走するメフィストフェレス。人使いならぬ、悪魔使いが荒すぎだ。

だが、どんな女性と恋に落ちようが、ファウストは「時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい」と口にすることはない。どんな快楽も人生を満たしてくれることはないのだ。

 

2.「おカネがなければ、どんどん刷ればいいじゃない!」(by メフィストフェレス

第二部では、ファウスト神聖ローマ皇帝にも仕える。国庫はすっからかんの財政危機。どうしたものかと頭を悩ませる皇帝に、メフィストが進言する。

「おカネがなければ、じゃんじゃん刷ればいいじゃないか!!」と。どこのアベノミクスだ?と突っ込みたくなる。

戦乱の時代に、民衆は土地を捨てて逃げ惑った。その時に地中に自分の財産を隠した。大地は皇帝のものだから、そのお宝も皇帝のもの。掘り起こしたお宝を抵当に、紙幣をどんどん刷って、皇帝の署名をばんばん押せばいっちょ出来上がり。財政危機は解決というわけだ。

もうガマ口や金袋は用なし、お札なら胸のポケットにも収まる。恋文などもいっしょに入れとくといいでしょう。司祭はそっと祈祷書にはさんでおく。兵隊は腰の革帯が軽くなって、まわれ右もしやすい。(<第二部>P83)

メフィストフェレスの台詞はいつもユーモアたっぷりだ。だが、実は何の解決にもならないことも知っている。結局、この財政政策があだとなって、帝国は傾いてしまうのだ。一時、紙幣を発行することで財政状況が持ち直した(ように見えた)のに気をよくして、皇帝が調子に乗って金を使いすぎたためだ。メフィストは言う。「まやかしの富で有頂天になって、世界中を買い占めそうな勢いだった。若くして玉座についたものだから、考えが甘い」と。(<第二部>P333)

まやかしの富。そうか、実体のないまやかしの富か。このことばは心に響いた。

 

3.ついにファウストは口にする。「時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい」

人生も夕暮れを迎え、年老いたファウストは大勢の人間を使い、皇帝からもらった海岸一帯を干拓することに精を出す。「あの傲慢な海を岸からしめ出すのだ。水にひたされた広大な地域を沖の方へと押しもどす」と鼻息が荒い。知識のみならず、女性への欲望でも自分の人生を満たしてくれることはなかった。次はこれか?現場監督はメフィストフェレスだ。相変わらず、悪魔使いが荒い・・・。

干拓事業は進むが、立ち退きに応じない老夫婦がいた。ファウストはとびきりの土地を用意する代わりにすぐにでも老夫婦に立ち退いてもらえと、メフィストを急かす。そこでメフィストは老夫婦の家に押しかけ、たまたまそこを訪れていた客人もろとも殺してしまうのだ。

まさか殺してしまうとは。そんなつもりはなかった、と失意に沈むファウスト。その夜、ファウストのベッドに「憂い」が忍びこんで話しかける。「今まで一度もわたしを知らなかったというの?」と。

この時のファウストの台詞は胸に迫る。

世の中を駆け通しできた。欲望の赴くところの前髪をつかみ、気に入らなければ放り出した。逃げるやつはそのままにした。ひたすら望んで、それをやりとげ、さらに望んで、生涯をつらぬいてきた。初めは猛々しかったが、しだいに賢明に、思慮深くなった。地上のことは十分に知った。天上のことは知るべくもない。天上に憧れ、雲の上に仲間を求めるなどは愚かしい!しっかと地に足をつけ、まわりを見廻す。その気さえあれば、世界が黙ってはいないのだ。永遠を求めて何になろう。認識したものこそ手にとれる。この世の道をどこまでも辿っていく。あやかしがあらわれようと、わが道を行く。求めるかぎり苦しみがあり、幸せがある。ひとときも満ち足りることはない。(<第二部>P400)

永遠なんてこの世にはない。人生が完全に満ち足りることなんてあり得ない。それでもしっかりと地に足をつけ、「今、ここ」を生きていくしかない。それが人生だ。

「憂い」が息を吹きかけ、ファウストは視力を失う。だが「胸のなかはこよなく明るい」。(P402)翌日、ファウストの命が尽きかけているのを知ってか、メフィストフェレスは死霊に命じて墓穴を掘らせる。ところがこの墓穴を掘っている音を、干拓事業にいそしんでいる人々の鋤の音だと勘違いして、ファウストはこの上ない感激に襲われる。

協同の意思こそ人知の至りつくところであって、日ごとに努める者は自由に生きる資格がある。どのように危険に取り巻かれていても、子供も大人も老人も、意味深い歳月を生きる。そんな人々の群れつどう姿を見たいのだ。自由な土地を自由な人々とともに踏みしめたい。そのときこそ、時よ、とどまれ、おまえはじつに美しいと、呼びかけてやる。この自分が地上にしるした足跡は消え失せはしないのだ   。身を灼くような幸せの予感のなかで、いまこの上ない瞬間を味わっている。(<第二部>P406-407)

 ついに、ファウストが口にした「時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい」。ファウストの身体が仰向けに倒れる。メフィストフェレスは賭けに勝ったのだ。

ところが、ファウストの身体から抜け出した魂は、天使たちの導きで天上界へと導かれ救済される。ファウストの魂は結局、悪魔の手には落ちなかった。メフィストフェレスは地団駄踏んで悔しがるのだ。

ファウストの魂が救済されたのはなぜか?「自分が地上にしるした足跡は消え失せはしない」とは、自分の名前や業績が後世に残るという意味ではなく、干拓地に普通の人々の暮らしを作り上げるきっかけを作ったという意味ではないだろうか。そこでは自分自身の存在は消えて忘れ去られている。「消えているけれど、そこにある」というのは、とてつもない自由なにおいがする。

 

最後にゲーテに会わせてくれた池内紀先生にお礼を言いたい。この訳でなければ、私は『ファウスト』は永遠に読むことはなかった。『ファウスト』を読んでいるときは、池内先生の存在はなくなっているけれど、ゲーテに出会わせてくれた存在として確実にある。自分がなくなってしまうあり方は、とても自由だ。

池内先生。本当にありがとうございます。

 

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