こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記

基礎学力(高卒程度)を身につけたい。読書も旅もしたい。フットボールも見たい。

「ジュリヤン=ソレルが『ほんとうのもの』を見出すまでの物語」 読書ノート スタンダール著『赤と黒(上・下)』(野崎歓訳)222日目~224日目

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スタンダール著『赤と黒(上・下)』(野崎歓訳 光文社古典新訳文庫)

 

『赤と黒』は素晴らしい小説だった。主人公ジュリヤン=ソレルとの別れがつらくてなけてきた。ナポレオンに憧れ、自分を特別な何かだと信じ、心のままに突っ走っていくジュリヤン=ソレル。これが単なる立身出世をめざす男の野心を描いた物語だったら、話は単純だったろう。ところがジュリヤンは「ほんとうのもの」を目の前にすると、震えるほど感激してしまう魂を持っている。ブレ=ル=オー修道院の聖クレマンの美しい彫像を見たとき。レナール夫人の前で自らを偽らずにいられることの喜びを知ったとき。ジュリヤンは野心も駆け引きも忘れてしまう。

ピラール神父の誠実な人柄に心をうたれ、神父が神学校辞職に追い込まれたときは、神父に貯えがないことを心配して、自分のわずかな貯えをすべて投げ出すことで考えてしまう男なのだ。とんでもなく傲慢で自尊心が高くて、金や地位を手に入れたいと思っているのに、心の底では金持ちを見下している。本当に欲しいものが何なのかわからず、いつも怒りを抱えている。そして、ジュリヤンの探し求めた「本当に欲しいもの」は、最後の最後になって感動的な形で立ち現れてくる。

 

金も地位もマチルダという高貴で美しい女も、何もかもを手に入れる寸前で、ジュリヤンは殺人未遂事件を犯し、地下牢へと送られてしまう。そこで、ジュリヤンは、はじめて自分自身の気持ちと向き合うのだ。

真実はどこにあるのか?

宗教のなかにだろうか?だが、権力争いに一生懸命な神父たちの姿をジュリヤンは嫌というほど見てきた。彼らがさんざん乱用してきた神様なんて信じられない。聖書の中に書かれている神様も残忍で復讐に燃えていて好きになれない。

ジュリヤンは神など信じていなかった。ところが最後になって、大いなる何かに向かって救いを求めるのだ。

 

死の間際になって、自分相手に話しているときでさえ、ぼくは相変わらず偽善者のままなんだ・・・。ああ、十九世紀よ!(中略)

第一に、ぼくは誰か聞いている者がいるみたいに、自分を偽っている。

第二に、あと何日も生きていられないくせに、生きて愛することを忘れている・・・。残念ながら、レナール夫人はいない。きっと夫はもう、あの人がブザンソンに戻ってきてさらに名誉を汚すようなことを許さないだろう。

そのせいでぼくは孤立しているんだ。別に、公正で善良で万能なる神様、意地悪ではなく復讐など望まない神様がいないからではない・・・。

ああ!そんな神様がもしいるならば・・・きっと、その足元に身を投げるのだが。ぼくは当然の報いで死んでいきます、と神様にいうだろう。でもどうか、偉大なる、善良な、寛大な神様、愛するあの人を、ぼくに返してください。(P578-579)

 

『赤と黒』は、貧しい家に生まれ育ったジュリヤン=ソレルが、自分の魂を見極めるまでの物語だ。彼は司祭見習いとなり、ヴェリエール町長である貴族のレナール氏に雇われて家庭教師になる。だが当初ジュリヤンにできることといったら、聖書をラテン語で暗唱することくらいだったのだ。自分でも知識や経験がないことがわかっているから、劣等感をひた隠しにして、笑いものにならないよう注意深く振舞う。

結局、レナール邸で多くの本を読む機会があったことや、恋人となったレナール夫人にこまごまとした疑問に答えてもらうことで、ジュリヤンの世界は大きく開ける。「何よりも嬉しいことに、目を覆っていたベールが落ち、ヴェリエールで何が起こっているのかをついに理解できるようになった」(上巻P185)。レナール夫人はジュリヤンに愛を教えてくれたひとだ。

後に、ジュリヤンはパリの貴族ラ・モール侯爵の秘書となり、侯爵令嬢マチルダと恋に落ちる。だが、マチルダの自己陶酔癖の強さは強烈だ。恋の駆け引きでマチルダの心を虜にしたものの、結局ジュリヤンはマチルダのことを愛せなくなってしまう。本当に愛したのはレナール夫人ひとりだけだ。生まれ育った家では暴力を受け、愛することも愛されることも知らなかったジュリヤンが、紆余曲折を経て本当の愛を知るに至るラストはとても切ない。

 

恋愛小説というだけではなく、19世紀のフランスの雰囲気もわかって面白かった。ナポレオンが失脚し、王政復古となったものの、いつまた革命が起きて世の中がひっくり返るかわからない。「また革命が起こったら、貴族は皆殺しになるでしょう」(上巻P309)というレナール夫人の台詞にもある通り、革命が起きるということは貴族たちにとって、自分たちの生命がかかった一大事だったことがわかる。

そして、またここでもイエズス会が登場する。世俗権力と結託して謀略をめぐらし、世界征服をめざしている集団だとみなされていたことは、『パンセ』を読んでいても理解できた。実際とんでもない集団だったのか、フランス限定で大暴れしてしまったのか、この辺は詳しくないのでわからない。

 

『赤と黒』は様々な読み方ができる小説だ。誰が読んでも同じ感想しか抱かないような内容だったら、とっくに消え去っていただろう。多角的な読み方ができる小説こそ、優れているのだろうと思う。

 

桑原武夫が選んだ教養ある日本人のための必読書「世界近代小説50選」 

kodairaponta.hatenadiary.jp

  

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