こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記

基礎学力(高卒程度)を身につけたい。読書も旅もしたい。フットボールも見たい。

福島県南会津郡只見町をめぐる旅。(264日目~266日目)

◎10月6日(金)曇り

*朝9時30分、福島県南会津郡只見町に向けてクルマで出発。「日本100名城」のスタンプを集めているので、まずは会津若松城に行った。ここでやっていた「戊辰前夜」という企画展が良かった。特に、孝明天皇松平容保に下賜された宸翰(しんかん・天皇直筆の手紙のこと)と、宸翰の入った竹筒を見たときは感激した。

司馬遼太郎の『王城の護衛者』では、この竹筒の話が出てくる。松平容保は、晩年、ずっとこの竹筒を肌身離さず身に着けていた。誰も中身を知らなかったが、容保が亡くなってから、家族が竹筒を開けてみた。

意外にも、手紙が入っていた。読むと、ただの手紙ではなかった。

宸翰であった。一通は、孝明帝が、容保を信頼し、その忠誠をよろこび、無二の者に思う、という意味の御私信であり、他の一通は、長州とその係累の公卿を奸賊として罵倒された文意のものであった。

維新政府から逆賊として遇されたかれは、維新後それについてなんの抗弁もせず、ただこの二通の宸翰を肌身につけていることでひそやかに自分を慰めつづけて余生を送った。(司馬遼太郎著『王城の護衛者』講談社文庫 P131)

 朝敵とされながら、孝明帝の信頼が厚かった松平容保。どんな思いで晩年を過ごしたのかと思うと、胸が痛む。

この日は只見の民宿に泊まった。

 

◎10月7日(土)晴れ

*只見には「河井継之助記念館」が目当てで訪れた。「林修先生がいらしたんですよ」と、案内の方が言う。長岡の河井継之助記念館でも「林修先生、河井の大ファンだということで、講演もしてくださいまして」と言っていた。林先生、どれだけ河井継之助が好きなんだ。私も好きだけど。

只見の記念館では、北越戦争で重傷を負った河井継之助が息を引き取った部屋が、そのまま移築されて残っている。投宿先の主人だった矢沢宗益は、この部屋を後世まで遺すように子孫たちに言い含めたという。実際に河井継之助に会った人々は、その偉大さを実感していたのかもしれない。

*ふらりと立ち寄った「ふるさと館田子倉」は素晴らしかった。田子倉ダムの底に沈んだ、旧田子倉集落の生活の様子がわかる資料館なのだが、まるで桃源郷のような生活なのだ。山に分け入ってクマやらシカやら取ったり、川に行って魚を取ったり、山菜を摘んだり、こんな豊かな生活が日本にあったのかと驚いてしまう。「ただみ・ブナと川のミュージアム」もよかった。この辺りには、動物も魚も昆虫もたくさんいるのだ。

ただし、カメムシが異常発生しているのには参った。毎年のことなのだろうか。

 

◎10月8日(日)晴れ

*昨日、帰宅後に何気なくテレビで見た宮崎勤事件の実録ドラマに目を奪われた。宮崎勤役の俳優が、しゃべり方も何もかも、本人そっくりなのだ。俳優の名前は坂本真。鬼気迫るすばらしい演技だった。

 

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