こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記

基礎学力(高卒程度)を身につけたい。読書も旅もしたい。フットボールも見たい。

見ておいて損はない名作映画100選の6作目。映画:流れる

「見ておいて損はない名作映画100選」の6作目だ。

幸田文の原作も改めて再読したが、原作の小説よりも映画の方が断然いい。異論は・・・認めようか?

6作目。

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流れる
(1956/日本)
監督:成瀬巳喜男
出演:田中絹代山田五十鈴高峰秀子杉村春子岡田茉莉子

 

三行で完全にわかる日本史』をパクって内容を説明すると、こうなる。

柳橋芸者置屋「つたの家」は没落寸前、借金で首がまわらない。

*加えて、千葉の鋸山から元芸者の親族が「少年保護法違反だ、カネ寄こせ」とクレームをつけて乗り込んできた!

*カネに困った置屋の女主人おつたは、料亭「水野」の女将を通じて元パトロンに助けを求めるが・・・。

 

 おカネがないって本当につらい・・・はず、なのだが、この映画に出てくる女性たちは自分の身の上を嘆くようなじめじめしたところがこれっぽっちもない。毅然とした振る舞いがかっこいいのだ。「生きていくのは大変だけど、しかたないよな」とさばさばしているところがいい。

 

なんといっても、「つたの家」に住み込み女中として働くことになった梨花田中絹代)のふんわりとしたお辞儀がいい。「よろしくお願いいたします」と芸者たちにお辞儀。金貸しをやっているおつたの姉にも、おつたが「お姉さん」と慕う料亭「水野」の女将にもお辞儀。クレーマーの鋸山にもていねいにお辞儀。その所作にほれぼれとするのだ。夫と子どもを亡くしたらしい梨花だが、「あたし、かわいそうでしょ!?」と自分を主張するところはない。ひとりの職業人として、女中に徹しているのだ。

小説の『流れる』は、芸者置屋で女中として働いた幸田文の実体験が書かれている。だから梨花幸田文そのものなのだろう。だが、小説の梨花と映画の梨花はキャラクターが全く違う。小説の梨花は気が強く、周囲に対して容赦ない批判を加える。たとえば、芸者置屋にあるカエルの置物について、「これは、おひきさまといって有名よ。客を”ひく”っていう縁起ね」と言うおつたに対し、梨花は「はあ?どうして”お茶をひく”と考えないんだろう。客は、妻や子供のもとに”かえる”ものだと、どうして考えないんだろう」とかなり辛辣だ。

こうしたとげとげしさが映画の梨花にはない。染香がカエルの置物に手を合わせるシーンは出てくるが、それを見て少し驚く表情をするだけである。自分の考えを口にせず、教養もひけらかすことはなく、淡々と自分の仕事をこなしていく。そして、周囲の信頼を勝ち取っていく。「こういう職業人なら信頼されるだろうな」と、納得されるような働きぶりなのだ。設定も台詞も同じなのに、映画の梨花の方に人物としての厚みを感じさせられるのはなぜだろう。監督も素晴らしいが、脚本家がスゴ腕なのだと思う。

 

他の登場人物のキャラクターも印象的だ。おつた(山田五十鈴)も色っぽい。そして、かわいらしい。ひとりで着物を着ているシーンとか、元パトロンのお座敷の準備をしている浮き浮きした様子とか、見ているだけで愛おしくてたまらない。おつたの娘の勝代(高峰秀子)の「くろうとに生まれたのに、しろうとみたいに育っている」から生きづらそうなところとか、米子(中北千枝子)の徹底的にだらしないところとか、染香(杉村春子)の勝代に対して泣きながら啖呵を切るシーンの「女の哀しさ全開」なところとか、鋸山(宮口精二)の筋金入りの貧しさがただよっているところとか、ひとつひとつが際立っている。

猫の「ポンコ」も忘れてはいけない。ほんの一時行方不明になったあげく、なな子(岡田茉莉子)に捕獲され、「ポンコ、いましたよ」と無造作に畳に放り出されるポンコは笑いをさそう。

 

最後、「つたの家」は終わるんだな、という予感を観客に抱かせながら映画は終わる。しかし同時に、たとえ名門の芸者置屋が滅びようとも、おつたも勝代も染香も梨花も力強く生き抜いていくんだろう、という予感も抱かせる。時代は流れていくが、どんな状況になろうとも人は生き抜いていく。

たまらなく落ち込んだ時は、ぜひとも見てほしい。そんな映画である。

 

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