こだいらぽんたの「基礎学力」勉強日記

基礎学力(高卒程度)を身につけたい。読書も旅もしたい。フットボールも見たい。

内モンゴルと外モンゴルはどうやって生まれたか。

『詳説世界史研究』『詳説日本史研究』を読むときは、まずノートに目標を書く。一回の分量は最低20ページを目標にしている。1つの小見出しの内容をていねいに読み、『書き込み教科書』で該当部分の穴埋め問題をやる。(気づいたことがあれば、簡単なメモは取る。「××すごい!」とか、その程度。)この繰り返しで、20ページくらいならなんとか読むことができる。

ただし、来週以降あれこれと用事が入っているので、まとまった時間が取りにくい。ここは踏ん張りどころかもしれない。

明日は味スタにサッカーを観に行く。かなり暑いけど、こればかりはやめられない。

 

◎8月4日(土)晴れ。猛烈に暑い。

*勉強日記

<世界史>

『詳説世界史研究』は第Ⅲ部に入った。第7章「アジア諸地域の繁栄」の途中まで。(P219-241)

「最初の1行目から最後まで、読み飛ばすことなく読み切る」ことを目標にしていなかったら恐らく読み飛ばしていた第Ⅲ章の扉(P219-220)だが、読み飛ばさなくて良かった。今まであいまいだった「近世」と「近代」の違いが、かなりわかりやすく解説されている。これを読んで、ちょっと賢くなった気がする。

内モンゴル外モンゴルについて、興味深い発見もあった。現在、中国には内モンゴル自治区がある。自治区の北側に位置するのは、ウランバートルを首都とする独立国のモンゴル国だ。これが不思議だった。外モンゴル内モンゴルはどうやって生まれたのだろうか。「モンゴル」という名前がついているのに、内モンゴルはなぜ漢民族が多いのだろうか。ネットで調べても納得いく答えが見つからない。ずっと思い悩んでいたのだが、もしかするとこれか?という記述にぶつかった。

1530年代。モンゴルのアルタンが勢力をのばし、しばしば明に侵入して物資の略奪をするようになる。しかしその一方で、軍需物資の徴発に苦しむ農民、邪教として弾圧を受けていた白蓮教徒、待遇に不満を持つ軍人・兵士など、自らすすんで長城を超え、アルタンの支配下に投ずる漢人が増加していた。彼らは土地を開墾して漢人居住区を作ったという。しかも彼らはアルタンの命令で、現在の内モンゴル自治区の中心地フフホトに「帰化城」まで作っているのだ。これが内モンゴルのはじまりなのだろうか?と、わくわくしながら次の項に進む。

 

<日本史>

『詳説日本史研究』第4章「中世社会の成立」の続きから最後まで。(P145-172)

男衾三郎絵巻」は鎌倉時代の武士の生活が具体的にわかる資料だというが、驚くのは「わが家の前を通る乞食や修験者は捕まえて首を斬ってしまえ。斬って斬って斬りまくり、屋敷中に生首が絶えるようなことがあってはなるまいぞ」のような残酷さだ。弱い者を見つけては試し斬りでもしていたのだろうか。理解しがたい感覚だ。テキストのそこかしこに「鎌倉時代の武士には教養がなかった」と書かれているので、「武士=バカな人」というイメージができあがってしまった。しかし、「教養がなかった」とはどういう意味なんだろう。単に詩歌管弦ができなかったという意味なら、どうでもいいような気がする。

蒙古襲来については、知らない話や思い違いが多かった。2回の襲来について、2回とも「神風」が吹いたのかと思ったら、台風が「確実に」来たと言えるのは弘安の役のみらしい。文永の役は、台風が来たかどうかわからないとか。

ほかにも、源頼朝とされてきた人物が足利直義だとか、平重盛とされてきた人物は足利尊氏ではなかろうかとか、日本史はさまざまな新説が登場している。学校で教える先生方も、追いかけるのがさぞかし大変だろう。

 

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